【冬のみちのく大回り】アイモバ東北地方赤塗り紀行(その壱)【2】

こんにちは。北陸の食パンです。

さて、今回は、過去のアイモバ遠征第拾四弾の続きということで、第一回アイモバ東北地方赤塗り紀行(2013年12月1日出発、2013年12月3日帰着)の後編をお送りしますよ。

前回は、盛岡までひたすらバスに乗り続け、途中でiPad電池切れにより、アイモバができなくなるアクシデントが発生しましたが、果たして今回もアクシデントがつきまとうのでしょうか?

前回記事見てない方はこちらをみてからこの記事を読みましょうw

ではでは、本編いきますよ。

参:はやぶさのごとく陸奥の地へ(岩手 盛岡エリア~青森 青森エリア)

戦いを無事終えたものの、満腹で身動きがとれなくなったわいは、近くのデパートで小休憩をした後、路線バスに乗って、盛岡駅へと向かう。出発からここまではバス乗りつぎの旅であったが、ここから一気に鉄道旅へと性格が変わるのだ。

img_3526

すっかり東北新幹線の顔として定着したE5系。い、いやまだ東京には帰らないかんね。

てか、相変わらず「はやぶさ」と聞くと、九州ブルトレだろと思う老害脳を持っているアカウントはこちらになります(ぉ

img_3528

さて、千早とともにはやぶさで青森いこうか。

tohoku6

朝の盛(さかり)~昼の盛岡以降のルート図は以上の通り。

とりあえず、新幹線で青森にいった後は、寝台特急あけぼのに乗るまで時間をつぶしつつ、寝台特急あけぼのに乗って、奥羽・羽越線エリアを赤塗りする作戦で行くこととなる。

なお、「はやぶさ」で移動中、iPadの充電芸を行い、これから失敗が許されない赤塗り芸に備えた。

img_3529

岩手県内は不安定だった天候も、青森県に入ると晴れ間も見えてきた。

写真は、青い森鉄道(旧東北本線)北高岩駅付近である。

img_3531

順調に通るエリアを赤塗りしていき、東北新幹線の終点新青森(遠征当時基準。新青森が東北新幹線と北海道新幹線の境界駅)に到着。新青森についた後は、この電車に乗って青森に行きます。

img_3538

どうみても青函トンネルを通る特急電車(当時)ですけど、特急券は買わずに乗ります

特急券買わずに乗るなんてだめだろと思ったそこのあなた。実は、青森~新青森間両駅相互間の普通車自由席に乗車する場合に限って特急券なしで乗れる特例があるのだ。これは、ターミナル(新青森駅)~市街地(青森駅)間のアクセスを考慮しているためである。

ということで、自由席に座って1区間だけ特急を楽しみましょうか。

img_3539

青森駅についたら、701系の入れ替え列車が横を通過していきましたとさ。

青森駅も晴れ間は見えているものの、ちょっと曇り気味でしたな。

img_3540

青森駅の北側に行くと、もともと乗り換え通路として使っていた跨線橋を見ることができる。

かつては、乗り換え専用通路として使われていたが、今では階段を閉鎖し、跨線橋は東西自由通路として転用されている。

img_3541

さっき乗ってた特急が到着した5番線および6番線のホームは、すでに跨線橋の階段部分が撤去されており、ホーム端は資材置き場に転用されていた。

img_3542

青森駅から先も少し線路が続いている。その先の線路は、今では、入れ替えのために列車を引き上げたりするのに使うのだが、青函連絡船があったころは、1番線側に連絡船の岸壁があり、青函連絡船に載せる貨車の入れ替え作業で主に使われていたとされる。

img_3546

青森駅構内、そして青森ベイブリッジをバックに千早を撮る。

img_3549

振り返って、先ほど乗った特急白鳥をバックに千早を撮る。

img_3550

ホーム上にうっすらと残る「連絡船」の文字。青函トンネルがなかったころは、青森~函館間は青函連絡船として結んでいた。国鉄(末期はJR北海道だったが)最後の国内定期航路が、この青函連絡船だったのだ。

かつては、青函連絡船の本州側の拠点として栄えていた青森駅。その後、青函トンネルが開通してからは、青函トンネルを通る特急列車の通過拠点+青函トンネルを通る快速列車の始発駅(快速列車は東北新幹線八戸延長開業により廃止)に、今は北海道新幹線が開通したことにより、よくある地方のターミナル駅となった。

かつての栄光が失われた今も、うっすらと残る栄光の痕跡を見ることができたのはある意味収穫でもあった。

img_3552

栄光の痕跡を見て、感傷に浸っているうちに、6番線にキハ40系気動車が入線してきた。

そういえば、キハ40は、これまで日本各所でそこそこ見ている割には、あまり乗ったことがないなあとw

img_3553

行き先のサボを見ると、なんと「三厩」行きじゃないですか。青森からだと1日に1本しかないレア行き先なんすよ(ほかはすべて蟹田発着)。

乗りたいなあと思いつつも、乗ると青森に戻ることすらかなり困難になるので、乗りません。はい。

img_3559

雨上がりの青森駅に到着。2012年2月にきているので、(遠征当時基準で)1年10ヶ月ぶりにやってきた。

青森駅駅舎の背後に見える橋は、青森ベイブリッジである。青森駅構内を跨ぐように架橋されている。寝台特急「あけぼの」に乗るまで3時間あまり。ちょいと散策しますか。

img_3562

青森駅前をバックに千早を撮る。

img_3563

青森駅から北に少し歩くと、かつて青函連絡船が発着していた岸壁を通る。そこにいたのは、なんと八甲田丸である。

この八甲田丸は、1964年7月31日に竣工。津軽丸型第2船として登場した。本船は、当時の最先端技術を導入した試作的要素の大きい船であった。それでも、八甲田丸に採用された係船機械やヒーリング装置その他が、後年の津軽丸型に採用されることとなり、津軽丸型のスタンダード船舶としての位置づけを確立している。

その甲斐もあってか、延命工事を受けた後も、青函連絡船廃止(1988年3月13日)まで活躍し、歴代の青函連絡船では最長となる23年7ヵ月間運航されたのであった。

img_3564

八甲田丸の船尾側には、連絡船に貨車を積載するための可動橋が保存されていた。

立ち入ることはできないものの、かつて青函連絡船があったことを伝えるためには、十分な保存設備である。

img_3565

青函連絡船としての活躍が終わった後は、この場所に係留され、青函トンネル開通記念博覧会の青森会場パビリオンとして展示の後、平成に入り博物館船への改造工事がなされ、1990年7月よりこの場所で一般公開される運びとなった。

この八甲田丸の塗装は、1969年に塗装変更(後年色味が変わっているが、おそらく色味が変わったものが現在保存されている本船の塗装に採用されているものと思われる)されたものである。竣工当初の塗装は、外舷下部がうす緑、煙突がピンクを採用していた。外舷上部は、竣工当初から一貫して乳白色であった。

img_0091

八甲田丸を真横から撮影できるアングルの場所を見つけたので、迷わず撮影した。

国鉄であることを示す赤いJNRマーク(運航末期は黄緑のJRになったが、博物館船工事の際に復元された)と青函連絡船航路開設70年目記念として後から追加された「八甲田山景と睡蓮沼」のシンボルマークもまた、この八甲田丸の魅力を引き出しているともいえる。

余談だが、どうしてわいが、青函連絡船に思い入れがあるのかというと、わいの亡き父方の祖父が青函連絡船で働いていたということもあり、船の中でもとりわけ青函連絡船には興味があるのだ。

ちなみに、羊蹄丸(船の科学館で展示されていたが、現在はすでに解体済)と摩周丸(リンクをクリックすると現地に行った時のページに飛びます【当該部分は記事中ほどあたりから】)は見学したことがある。

img_3572

八甲田丸をバックに千早を撮る。アイモバのカメラ機能は旅の思い出に必要だから必ず使う。

img_3575

青森といえば、この建物も忘れてはいけない。この建物は、「青森県観光物産館アスパム」である。青森ベイブリッジとともに、青森のランドマークの一つとして機能している。建物自体は、三角形の建物という非常に珍しいものであるが、これは「青森」の頭文字である「A」をかたどったことからとされている。

このアスパムは、青森県で一番高い建物(電波塔や橋梁などを除く)であり、13Fには展望室(有料)が設けられている。

img_3578

さて、改めてこれから八甲田丸を見に行こうと意気揚々として向かったところ、思わぬ罠が・・・

img_3584

オーマイゴッド。ホンジツキューカンビデスカー

ここで、遠征当時の日付を確認しよう。えーと、確か2013年12月2日でしたよね? そして、曜日はと・・・

あっ、月曜日じゃんwww

チーン

ここで暇つぶそうと思ったのに、大誤算じゃ。

img_3587

近いのに休館日で入れないこの悲しさはつらい。そうそう行けるところではないからなおさらね。

いつか、リベンジを果たさねば・・・。

八甲田丸に入れない悲しみを背負いつつ、青森駅に帰ろうとした矢先に、とんでもないものに出会ってしまう。

img_3588

おやまあ。これはEF81じゃないですか。んで、後ろにいるのは・・・

走る日立製炊飯器ことスーパーひたちで走ってた651系!?!?

まさか、こんな青森の地で出くわすとはだれが想像しただろうか。疎開されてるのは知ってたけど、まさかこんなところで会うなんてねえ?

img_3580

青森駅構内にたたずむ789系と651系。なんてシュールな並びなんだw

img_3585

JR北海道の789系スーパー白鳥と651系の並び。

こんな写真後にも先にも撮影できないと思うので、ある意味いい収穫になったとさw

四:廃止の噂が立っている「あけぼの」に乗って赤塗りを実行せよ(青森 青森エリア~山形 鶴岡エリア)

八甲田丸が休館日のため、出鼻をくじかれたわい。かといって、三内丸山遺跡を再訪問する時間はとれないし、日没のときも近い。そこで、わいがとった行動とは・・・

img_0105

青森駅構内にあるコーヒーショップで充電芸してましたとさw

あまりに行くところがなさすぎるし、これから乗る寝台特急「あけぼの」には、コンセントなんてない(あっても洗面台付近かA寝台くらい)から、これからのアイモバ赤塗りに備えるのに好都合であった。

えっ? iPadがおかしなことになってるって? ああ、「国鉄広島式ガムテープ補修」してますからねw 2013年の夏の地元の警察署の免許更新の際に、ドンガラして、大理石製の床に落としてこうなったわけよw

img_3596

「あけぼの」に乗る前に青森駅のメイン改札の風景を1枚。

地方の主要駅とはいえども、LED表示器といい、LCD表示器といい都会の主要駅とそん色のない設備を備えている。まあ、隣駅が新幹線の駅だからそれくらいは当たり前なのかもしれないが。

そんなこんなで、いよいよ今回の遠征のメインディッシュである寝台特急「あけぼの」に乗りませう。2012年2月以来の乗車。上り列車は初めて乗ります。はい。

img_3597

今回の寝床はこちらです。B寝台個室ソロの上の階になります。夜に星空を眺めるには結構いい場所だったりしますね。

部屋の構造上、ベッドマットが折りたたまれており、シーツ・布団類はセルフで敷くことになります。(個室の扉が内開きのため、ベッドマットを広げると、扉があかなくなります)

ゴミ箱・折り畳み式テーブル・灰皿・えもんかけ・浴衣・BGMコントロールパネル・照明スイッチ・空調スイッチ・スリッパ・背もたれ用クッションが備え付けられていました。

B寝台個室ソロもいろいろなタイプがありますが、このあけぼのに連結されていたB個室ソロは28部屋という部屋数重視のいタイプであったため、個室内はけっこう狭かったです。体格がいい人の場合、かなり窮屈かもしれませんね。

img_3600
ベッドマットを広げた状態がこちら。この状態でシーツと布団を敷いて寝ることになる。

窓のカーテンは最初閉まっている状態ですが、自由に開けられる。先ほども申した通り、個室内の照明を消して、寝ながら夜空を眺めるのもまた一興である。

img_3605

寝床をバックに千早を撮る。

千早は、ブルトレに乗るのがうれしいせいか、少しどや顔っぽくなっている模様w

img_3606

参考までにB個室ソロの下の階を見てみる。

こちらは、すでにシーツが敷いてあるので、上の階みたくセルフで敷かなくていいのが特徴である。ただし、下の階の個室は、上の階に行く階段下に位置するため、個室内はこちらもやっぱり狭めである。

img_3616

この記事を書いたのは遅まきながら2017年2月。この「あけぼの」に乗ったのは2013年12月・・・。わずか(?)3年余り経過したわけだが、もう「あけぼの」は走っておらず(2014年3月定期運用廃止)、遠い過去に走っていた列車という感覚に襲われるのは気のせいだろうか・・・。

この記事を書いた今、二度とブルートレインの非日常的空間を味わえないというのは非常につらいものがある。とはいっても、実は今でも味わおうと思えば味わえなくはないんですよね。どうしてそう記述したかは、後程明らかにします。はい。

img_3622

あけぼのをバックに千早を撮る。

そして、18:23定時に青森を発車する寝台特急「あけぼの」。ひたすら個室内で、アイモバ営業しつつ、夕飯と酒クズをしていた。

とりあえず、山形県の鶴岡エリアを赤塗りするまでは、寝落ちしないようにした。

伍:「あけぼの」の車中でたまっているオファーを消化せよ(山形 鶴岡エリア~帰着)

鶴岡エリアの赤塗り完了後、今回の遠征における目的を達成したため、B寝台「ソロ」の寝床でしばし寝ることとした。

もう体験できないけど、ブルートレイン乗車中の心地いい空間や音が好きだったなあ・・・。

tohoku7

新潟県以南はすでに制覇済みではあるが、一応寝台特急「あけぼの」のルート記載を兼ねて、ルート図を掲載。

ぶっちゃけ、このあたりは寝ていたので、アイモバすらしていなかったのだがw

寝台特急「あけぼの」は、途中長岡で機関車の付け替えが行われており、青森からけん引してきたEF81から、EF64-1000へとけん引機が変わるのだ。

そういえば、「あけぼの」に3度乗りましたけど、長岡の機関車交代一度も見たことありませんでしたね。うん。新潟県内はもうぐっすりでしたから。

tohoku8

そして、帰りたくない現実世界への最後のルート図である。今回は上野駅をゴールとして定めた。

次に目が覚めたのは、上越国境を越える清水トンネル通過中のことであった。清水トンネルを越えてアイモバを開くと、沼田/水上エリアの代行が十数件あったので、迷わず回収した。

寝台特急「あけぼの」で、代行案件をこんなに狩れるのはこのエリアぐらいしかないと思われる。それも、代行がたまっているか否かは時の運ではあるのだが・・・。

沼田/水上エリアの代行回収後、再び眠りにつくわいであった。

img_3626

そして、二度目のおはようございます。えーと、ここは・・・。

隣の線路が京浜東北線で・・・。

あ、風景的に荒川と隅田川渡って東京都に入ったところですね・・・。

つまり、何が言いたいかというと

寝台特急「あけぼの」芸、あと10分少々で終了です。

本当に上り寝台列車って、終点に近づくにつれて残酷な気持ちになるのですよ。しかも、「あけぼの」が上野につくのは7時前。これから、山手線のラッシュに巻き込まれるということを考えると非常に頭痛くなるんですよね。はい。

img_3632

残酷にも定刻通り、終点上野についてしまう。長岡からのけん引機はEF64 1031。死神一族の次男でしたか。そうでしたかw

ちなみに、上野到着後の寝台特急「あけぼの」は、機関車が後ろから客車を押す「推進回送」により、近くの尾久車両センターへと戻っていくのである。

img_3636

最後に、寝台特急「あけぼの」をバックに千早を撮り、地元へと帰っていったのであった。

弾丸遠征だったけど、地元に朝戻るとなんだかすがすがしいね。ということで、今回の遠征記録はこれでおしまいっ!

六:【資料】寝台特急「あけぼの」について

今回の遠征記録はこれでおしまいといったものの、今回乗った寝台特急「あけぼの」について、簡単ながら概要を説明していくことにしよう。

寝台特急「あけぼの」の概要と変遷

「あけぼの」は、1970年10月1日に上野駅~青森駅間を東北本線・奥羽本線経由で運行開始した定期寝台特急列車である。

最盛期は、3往復の列車が設定されていたが、利用者数減少ならびに山形新幹線の着工のあおりなどを受け、東北本線、陸羽東線および奥羽本線経由で運行された時代を経て、秋田新幹線の開業以降は、高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線経由の寝台特急「あけぼの」(1990~1997年の間に運行されていた寝台特急「鳥海」と同じルート)として、再出発することとなった。

その後、2010年の東北新幹線新青森開業の際に、存続が危ぶまれたが、その危機を何とか乗り越え、運行され続けてきた。それでも、使用車両の老朽化などの影響には勝てず、2014年3月のダイヤ改正において定期運用を廃止。その後、繁忙期に臨時列車として運行された実績はあるが、2014年度の年末年始を最後に運行されなくなってしまったのである。

2000年以降、残存していたブルートレインが続々と廃止されていくなかで、寝台特急「あけぼの」が残った背景には、とりわけ、首都圏~秋田県間において、輸送需要が根強く残っていたということがうかがえる。

というのも、首都圏発秋田行き、秋田発首都圏行きともに新幹線の最終列車が出た後に、寝台特急「あけぼの」に乗ることができ、そして新幹線の始発がつく前に、寝台特急「あけぼの」で目的地につくことができたのだ。

首都圏~青森県間においては、2010年の東北新幹線新青森開業以降、東北新幹線のほうが優位に立つので、太刀打ちすらできなかったのであるが、先ほど申した首都圏~秋田県間に関していえば、廃止まで寝台特急「あけぼの」が優位に立っていたといえる(ただし、羽越本線が強い風雪により運転見合わせすることはままあったので、そのときはどうしようもなかったといえる。)

それに加えて、「ゴロンとシート」と呼ばれるリーズナブルな車両が常に連結されていたのも、寝台特急「あけぼの」残存に一役買っているといえるであろう。「ゴロンとシート」とは、特急料金だけで乗れる車両で、2段式(開放式)B寝台をそのまま使用しているが、浴衣、枕、掛け布団、シーツは一切備え付けられていない車両のことである。今でいう、サンライズ出雲・瀬戸の「ノビノビ座席」みたいなもんだと思っていただければよい。

そんな好条件が相まって、いわゆる一般のブルートレイン(2015年3月に定期運用がなくなった北斗星もブルートレインではあるが、ちょっと一般とは離れている性格を有しているためあえて除外した)として、最後まで行き残った寝台特急「あけぼの」は、今後もきっと語り継がれていくに違いない・・・。

ぶっちゃけ、寝台特急「あけぼの」を電車寝台化すれば、需要はまだまだありそうな気がするが・・・。ああ、JR東日本のことですから、期待しちゃいけませんでしたね。失礼しましたw

寝台特急「あけぼの」のギャラリー

ちょっとだけではあるのだが、今回の遠征以前に撮影した寝台特急「あけぼの」のギャラリーをご覧頂くことにしよう。

P1040252

秋田新幹線開業以後~2009年ダイヤ改正までは、全区間EF81形電気機関車による牽引であった。

しかしながら、上越線内での空転が多いため、ダイヤ乱れが頻発したほか、(主に高崎線・上越線の)乗務員の操作性の問題を受け、2009年ダイヤ改正のときに長岡駅~青森駅間での牽引に改められた。

そして、この写真の機関車は、「スーパーエクスプレスレインボー」塗装機であるEF81 95で、車体側面に形式番号をあしらった巨大な「EF81」のレタリングを施したデザインになっているのが特徴である。いわゆる、鉄ヲタたちが群がるネタガマと呼ばれる奴の一つである。

ちなみに、現在も現役で活躍している。

DSC08223

2010年ダイヤ改正から、廃止まで上野駅~長岡駅間を牽引担当したEF64 1000番台電気機関車である。もともと、上越線対応の機関車として製造された経緯があるが、この寝台特急「あけぼの」の牽引を担当したのはわずか4~5年間だけであった。

ちなみに、2009年~2010年の間は、同じEF64形電気機関車でも0番台が寝台特急「あけぼの」の牽引を担当してきたが、2010年3月に寝台特急「北陸」廃止に伴って、運用を失ったEF64 1000番台電気機関車が寝台特急「あけぼの」の牽引を担当することとなったのだ。

DSC08374

先ほど、首都圏~秋田県間において、輸送需要が根強く残っていたことや、リーズナブルに移動できる「ゴロンとシート」が連結されていることが、寝台特急「あけぼの」が残存する要因となったということを列挙したが、もう一つあえて要因をあげるなら、寝台特急「あけぼの」は全区間JR東日本管内を走るブルートレインであったことも特筆しておきたい。

寝台特急「あけぼの」の個室紹介

ここで、寝台特急「あけぼの」に使用されていたA寝台シングルデラックスとB寝台ソロの個室を改めて紹介したい。

DSC08214

A寝台「シングルデラックス」の個室内の様子がこちら。1両11室の1人用個室で、定期列車時代は7号車に連結されていた。

室内にはビデオモニター(後年、老朽化により撤去)や、BGM装置、収納式洗面台、コンセント、浴衣、えもんかけ、ごみ箱、オットマン、ハシゴ、灰皿、スリッパ、靴ベラ、靴磨きなどの備え付けがある。

基本的には、かつて寝台特急「北陸」で運行されていたA寝台「シングルデラックス」と同様の構造ではあるのだが、寝台特急「あけぼの」においては、補助ベッドが設けられており、2名で使用することもできた。(2名利用の場合は、シングルデラックス料金に、補助ベッド利用の料金【B寝台シングルツインと同額】が加算された。)

また、トイレ側1室を除いてベッドと反対側の壁の仕切(コネクトドア)が開閉できるようになっており、1番個室以外は最大4名で利用することができる(2番・3番、4番・5番、6番・7番、8番・9番、10番・11番)。

DSC08330

A寝台「シングルデラックス」のメインベッドは、座席に転換することも可能で、特に起床後から終点につくまでの時間が比較的長い下り列車においては重宝された。

一応、これでも1人用座席扱いなので、かなり広すぎる座席といっても過言ではないのかもしれない。物理的(?)には2人まで座れますけどね。はい。

img_3597

先ほども紹介したのだが、B寝台個室「ソロ」の個室内の様子がこちら。1両28室の1人用個室で、定期列車時代は5・6号車に連結されていた。

こちらは、上段個室(偶数番号の部屋)である。上段の窓は、写真を見てお分かりいただける通り、曲面のスライド式窓カーテンとなっており晴れている日であれば寝台使用中に満天の星空を満喫できた。しかし、座席として使用する際の足をつけるスペースが極めて狭いという問題もあったことは付け加えておく。

また、上段の個室は、写真を見るとなんとなくおわかりいただけるだろうが、旅客自身で座面を展開して寝台を構成しシーツを敷く必要がある。これは上段の個室で寝台を構成すると、個室への出入りが非常に困難になる(座面を展開すると入口のおよそ半分を支障する)という構造上の問題から生じている。

img_3606

こちらが、下段個室(奇数番号の部屋)である。下段の個室内は、上段の個室へ登る階段は個室の外にあるため、その階段の張り出しが影響し、個室内で着替えなどのために直立することができない。(ちなみに上段も同じく直立不可能)

下段の個室は乗車時すでに寝台が展開された状態になっておりシーツも敷いてあり、地面に足をつけるスペースが上段よりも比較的広い点において、上段個室よりも強みとして挙げられる。


 

それでもって、いまさら廃止された寝台特急の個室レビューなんて見たって面白くねえよとおもったそこのあなた。今から、よーく聞いてください。

 

 

 

 

 

実は、この寝台特急「あけぼの」の個室に泊まれるところがあります。

そこは、どこかというと・・・

 

 

 

小坂鉄道レールパーク(リンクをクリックすると公式ページの当該ページに飛びます)の「ブルートレインあけぼの」です。

です。

この小坂鉄道レールパークに、寝台特急「あけぼの」で活躍していた客車が、2015年10月より列車ホテルとして営業を開始しました。

冬期間(11月下旬~4月下旬)を除く、金・土・祝前日(GWおよび夏季一部期間は毎日営業)が基本営業日となっております。(たまに、車両整備等の都合で休みの日があるので、詳しい営業日は公式ページにて確認のこと)

この「ブルートレインあけぼの」の特筆するべき点として、動態保存されている貴重な列車ホテルとなっており、宿泊者限定で朝と夕方に開放B寝台車両に乗って動くさまを楽しむことができます。

「ブルートレインあけぼの」で宿泊できる個室車両は、現役当時とほとんど変わらない姿で宿泊ができます。現役時代に、ブルートレインに乗れなかったという読者の皆様、ぜひこの機会に行ってみてください。

小坂鉄道レールパークは、車じゃないとちょっと行きにくい場所ではありますが、車なら東北自動車道小坂ICから3分とかなり近いです。

小坂鉄道レールパークから西へ行くときりたんぽの本場大館(ほかの名産品は比内鶏や伝統工芸品の大館まげわっぱなどがある)があり、東(正式には北東)へ行くと、十和田湖や奥入瀬渓流がありますから、小坂鉄道レールパークを見学しなくとも宿泊拠点として「ブルートレインあけぼの」を有効に活用できると思います。

わいも、今年の秋の某日に「ブルートレインあけぼの」の予約を早々に入れたので、今から楽しみです。

また、「ブルートレインあけぼの」に宿泊した後は、レビュー記事をこのブログで取り扱う予定ですので、どうか今しばらくお待ちください。


 

というわけで、過去のアイモバ遠征記録第拾四弾はおわりでございます。

途中でアクシデントはありましたが、とりあえず目標の赤塗りはすべて達成できてよかったです。

それにしても、この記事を書いた今、寝台特急「あけぼの」も乗れなくなって、アイモバすらできなくなった・・・。一つの時代が終わった気がして寂しい反面、これからはベクトルを修正して気ままに旅していければと思います。

とはいったものの、過去のアイモバ遠征記録はあと4つ書かなきゃいけませんでしたね。今年半分終わるまでには終わらせたい。本来ならもうとっくに終わっているはずだとか言わない。

さて、次回の過去のアイモバ遠征記録第拾伍弾の予告ですが・・・。

第弐回アイモバ東北地方赤塗り紀行をお送りします。今回赤塗り制覇できなかった秋田までの奥羽本線沿いエリアを山形新幹線・奥羽本線と乗り継いで、赤塗り制覇していき、帰りはまた寝台特急「あけぼの」で帰りますw

次回の遠征記録は、内容がほぼないようなもんなので、単発記事で終わらせる所存です。

ではでは、今回もご覧頂きましてありがとうございました。

 


コメントは受け付けていません。

サブコンテンツ

最初に戻る

error: Content is protected !!