【残り1エリア!感動のラスト?】アイモバ三宅島紀行【1】

こんにちは。北陸の食パンです。

もうすぐ、2016年も終わりですね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

わいの2016年は・・・、大みそかに記事にて発表したいと思いますよ。

さて、今回は過去のアイモバ遠征第拾参弾ということで、アイモバ三宅島アタック編(2013年11月24日出発、2013年11月25日帰着)をお送りしますよ。

今回で、エリア制覇編は最終回です。さて、どんな結末を迎えるのでしょうか? そして、三宅島で見たものは?

早速、ご覧頂くことにしましょう。

前説:505エリア完全制覇へ向けての足取り

伊豆アタック終了後の翌日福島エリアのオファーがきて、とりあえず代行にてエリア制覇となったため、残す未制覇エリアは三宅島/八丈島エリアのみとなった。これで、制覇エリア数504エリアというリーチ状態になった。

(距離的に)広い伊豆諸島といえども、前回の伊豆アタックで攻めた伊豆諸島北部は、まだ難易度としては低い。しかし、505エリアを制覇するにあたって最後に残した地である三宅島/八丈島エリアは伊豆諸島南部。ちょっとハードルが高かった。

でも、ぶっちゃけ小笠原諸島に比べれば、こんなハードルなんて高くはないんだよ


 

そして、三宅島/八丈島エリアを制覇するにあたって、どの島で降りるかの検討を始めることとした。

東京から一本で行ける伊豆諸島南部各島の簡単な概要と当時の状況は以下の通り。

【三宅島】

船舶1日1往復(発着港は3カ所。発着港のうち三池港は高濃度地区に被さっている)、飛行機1日1往復(当時。ただし、飛行場の一部が高濃度地区に被さるため、火山ガスの流れる方向によっては欠航することがある。というか、正直飛行機が飛ぶほうが珍しいと言っても過言ではない【地元民からの話による】)と、東京本土から一本で行くことはできないが東京愛らんどシャトル。

【御蔵島】

船舶1日1往復(ただし、港の立地の関係上欠航率高し)。この島も東京愛らんどシャトルが飛んでいる。なお、御蔵島は東京都と共同でエコツーリズムを2004年から実施しており、日帰りでの訪島は不可能である(宿の予約が無いと上陸できない。ただし、釣り客が日帰りで訪島するケースはまれにある)。

どちらかというとこの島はアイモバのために来る島ではなく、自然を満喫する為の島である。

【八丈島】

船舶1日1往復(発着港2カ所あり)、飛行機1日3往復、東京愛らんどシャトルもあり。日帰りはできなくないが、この場合は、往復飛行機でないと厳しく、交通費が高くつく。

なお、事情等により上記2つの島の上陸ができない方々にとってはこの島しか選択肢はないし、天候不良でない限り安全に遠征できる唯一の島である。あとは温泉も多くあるので、温泉巡りしたい方には最適と思われる。


 

この以上の状況を考えて、選択肢からまず御蔵島は消えた。

残るは、八丈島と三宅島であるが・・・

せっかくだったら、島に降り立って観光でもしようと思ったので、八丈島は次の機会とし、三宅島に降り立つことに決めた。

かくして、Twitterで三宅島に行くことを宣言したところ、某直近の界隈2名(当時はまだFFでもないし、あったことすらなかった)から揶揄された模様である。

今では、笑い話で済むけど、当時はまじめに腹が立ったなんていえない

早速、三宅島の情報収集をしてみるも・・・

肝心のHPの情報が錯そうしてて役に立たない

この記事を書いた2016年現在は、そんなことはないのだけれども、当時(2013年11月)は、古い情報も織り交ぜられて掲載されていたがために、どれが正しい情報なのか判断できないぐらいのレベルに陥った。まじめに三宅島は島外民に優しくない。

そんなわけで、ある程度のまとまった情報だけまとめて仕入れる(主に観光系の情報)こととして、火山ガスの影響で立ち入れないところなどの情報は、現地で仕入れる・・・というより、現地に行って確認するしかないと考えたのだった。

ところで、三宅島の番号に2回ほど電話(レンタカーの予約と船舶到着後の仮眠予約【結局利用しなかったが】)しての感想だが、東京都の本土と東京との島嶼部との間には大きな壁(というのは大袈裟かw)があるように思えた。

同じ東京都に電話をかけても、標準語ではなく、どこか訛っているような言葉で応対されるものだから、ちょっと困惑してしまったのはここだけの話だ。

同じ東京都でも違う世界。これが日本の面白さといってもええかもわからんw

東京は旧国名でいえば、武蔵(本土)と伊豆(伊豆諸島各地)ですからね。同じ伊豆でも静岡と東京ではまた違う。これは面白い。

余談ではあるが、本来ならば、11/17の船で行く予定だったのだが、職務中の傷病の影響で、当初より1週間遅れの11/24の船での遠征決行と相成ったのである。

壱:さるびあ丸に揺られて三宅島へ(出発~東京 三宅島エリア)

三宅島に行くにあたって、少しでも節約したいと思い、金券ショップでとあるものを手に入れた。

それがこちら・・・

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東海汽船の株主割引券。東海汽船の航路が全等級35%割引(ただし、夏の繁忙期は25%割引)になるという便利なもの。しかも、金券ショップで当時1枚500円(現在では、1000円前後になってしまっているが・・・)で手に入るので、手に入れさえすれば、インターネット割引よりもお得に移動できる魔法の券である。

なお、1枚で片道分に相当するため、往復する場合は2枚買う必要がある。また、前回の遠征で利用した神新汽船の航路や伊豆諸島開発航路は対象外のため注意が必要だ。


 

さて、ここから遠征本番(11月24日~25日)の模様をお伝えすることにしよう。

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当時の職場にほど近い勝鬨橋のライトアップしている風景を写真に収めてみた。

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そして、千早も撮る。

地下鉄大江戸線で、大門まで移動した後、竹芝桟橋に到着し、乗船券を購入。そして、三宅島・八丈島行きの船の乗船列の先頭に立つ。

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左側の文字がいかにも国鉄フォントっぽい気がするのは気のせいだろうかw

ちなみに、遠征当時は、まだ「さるびあ丸」がフラグシップだったころで、もう一つの船は「かめりあ丸」の時代であった。

22:10頃に乗船案内が始まり、真っ先に寝床へと向かう。

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今回の寝床であるEデッキの二等和室。コンセントが近くについている。ラッキー。

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Eデッキの上のDデッキはリクライニングシートが装備されている二等椅子席になっている。

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案内所向かい側にある自販機コーナー。菓子・パン類の自販機が、昔の古いタイプだったころのもの。

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案内所の近くには、GPSが映し出されたテレビがある。

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乗船券切替所の横には、上級席のイメージ図が掲載されている。二等和室がまだ自由席のころのことだろうか。

よく見ると、さるびあ丸にも漫画があったんですね(ぉ 後年になって、完全に撤去されてしまいましたが。

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東京竹芝桟橋にいる時点での千早のファン数と累計ファン数などのデータは以上の通りである。

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東京竹芝桟橋と三宅島の位置を把握するために用意した図がこちら。

東京から三宅島までは直線距離にして約180kmほど離れている。

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22:30に竹芝桟橋を出て、ほどなくしてレインボーブリッジの下をくぐる。

レインボーブリッジの下をくぐることはなかなかないだけに新鮮だ。

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レインボーブリッジをバックにして千早を撮る。

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船上からレインボーブリッジを撮影してみる。

普通のデジカメだと苦労しないけど、iPadだと結構苦労したw

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東京湾納涼船では、メインステージとなるAデッキである。

繁忙期以外は静かなので、静かなときが一番好きである。

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レインボーブリッジを過ぎると、大井ふ頭の横を通過していく。

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その後、レストランで、青りんごサワーを片手に酒クズを始める。つまみは、軟骨のから揚げ。これがなかなかよかった。

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酒クズ後、なぜか機嫌が悪くなる千早であった

電波状況によるものだけどさw

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その後、なぜか喧嘩する羽目になったようである。(という設定)

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さらに、その後、しばらくして機嫌が直り、最後のエリア制覇前にいろいろと雑談をする(という設定)

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さるびあ丸で一番好きなAデッキの後ろ側に座って外も眺めていた。

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デッキから戻るとこのような看板が・・・。(ちなみに、今は表現が若干ながら変わっている)

いやあ、締め出し食らわなくてよかったよ。(ぶっちゃけていうと、締め出しは食らうことはない。もし、デッキ閉鎖する場合は、必ず船員が声をかけるからだ)

そんなこんなで、二等客室に戻って寝ようとしたものの・・・

寝られない

ということもあって、主に自由開放されているレストランと寝床を往復しながら、寝るタイミングとアイモバをするタイミングをうかがっていた。

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深夜の案内所付近。照明も間引き照明となっており、人の姿もなかった・・・。

4:00過ぎに三宅島到着時に入る港が判明した。島の西側の錆ヶ浜(阿古)港とのこと。私の傾向と対策では東側の三池港に入ると踏んでいたが、予想は大はずれであったw

まさか、この日に限って普通に錆ヶ浜(阿古)港に入るとは思わなんざw(但し遠征2週間前は錆ヶ浜港に入ることが多かった)

ついでもって説明すると、東海汽船の三宅島発着港は3カ所あり、西側に2カ所(錆ヶ浜・伊ヶ谷)、東側に1カ所(三池)ある。2000年の三宅島雄山噴火時以降は基本的に錆ヶ浜港を発着港としている(東側の三池港が高濃度地区内のため)が、海況により他の2カ所の発着になることがある。

なお、伊ヶ谷港発着は他の2つの港(錆ヶ浜・三池)周辺の海況がよくない場合に限るため、よほどの事が無い限り伊ヶ谷発着になることはない。竹芝発の航路については4:00前後、竹芝行の航路については12:00頃(八丈島から乗った場合は10:30ぐらいにわかる)に発着する港が決まる。例えば、竹芝発の航路が錆ヶ浜(阿古)港発着であったが、竹芝行の航路が三池港発着になることもあり得るのだ。

発着港の優先順位的な意味では、錆ヶ浜(阿古)港>三池港>伊ヶ谷港の順で考えて差し支えないと思われる。うち、伊ヶ谷港発着は極めて稀である。

そして、洋上回収を試みたところ、三宅島エリアに入った事を確認。3件の代行回収をするとともに、奇しくもさるびあ丸の船内にて全エリア制覇することとなった。

三宅島上陸前に全エリア制覇してしまったのは非常にあっけなかったのだが、その分上陸後は観光等に集中できるのでそれはそれで良しとしようw

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三宅島/八丈島エリアの位置情報を取得し、代行回収で無事に制覇する。そして、最後のトロフィーである「首都の夢」も同時に獲得した。

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505エリア制覇後の状況は以上の3つの画像の通りである。

千早のファン数は1億人弱になり、累計ファン数は1億500万人を越えた。

そして、37週目での制覇。始めてから、8ヶ月あまりで505エリアを達成してしまった。

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この遠征前に事前に作っておいたこの画像を見ながら、黄色混じりながらも全エリア達成したという事実を受け入れた。

なお、この画像の元ネタがすぐわかる方は、わいと仲良くなれるかもしれないw

というわけで、アイモバ遠征備忘録は・・・

これにておしまい! 今までありがとうございました!

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

これにておしまい! じゃあないんだよ。

まだ続くからね。この備忘録。

今までは、エリア制覇編をお伝えしてきまして、エリア制覇編としては今回が最終回ですけれども、これからは、赤塗り紀行と直近の界隈を成長させるための紀行に移行します。はい。

弐:生きている火山の景色を求めて(東京 三宅島エリア)

4:50過ぎにさるびあ丸は錆ヶ浜(阿古)港に入港した。まだ日の出を迎えていないが、私を含めた多くの乗客が三宅島の地に降り立った。

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到着直前の様子。東京~八丈島航路(通称:三八航路)を利用する乗客の多くは、三宅島で降りる。

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さるびあ丸出航前に千早を撮る。

周りが暗いので三宅島の景色がよく見えない。

とりあえず、レンタカー屋(コスモレンタカー)の送迎車を探すのに手間取ること5分で、ようやく送迎車を見つけて乗車。送迎車は相乗りだったが、ほかは仕事できたような感じの人で、観光する人はわい一人だった模様である。

そういえば、当時の三宅島のレンタカー屋では、釣り客向けの専用車とそれ以外の車で貸し出す車を分けているため、予約時に必ず釣りをするか否かを聞かれた。釣りはしないことはないけど、今回は釣り目的できたわけではないから、観光ですと伝えた。

なお、現在ではその取り扱いを中止しているとのこと。本当かどうかは定かではないのだが・・・。

送迎車に乗って10分少々で、レンタカー屋に到着。今回のお供である軽自動車に乗りこむ。

ほかの人らは足早に出発していったが、そこまで急いではいないので、設備をしらべたところ、とんでもない悲報が待ち受けているとは思わなかった。

それは・・・

FMラジオとシガーソケットがついていない。

え、ちょっとまって。音楽垂れ流しと充電できないって、後生ですか。

充電のほうは、船でやっておいたから、帰るまでになんとか持つだろうけど、音楽が垂れ流せないってまじめにゆゆしき問題なのだけれど・・・

些細なことではあるが、これで若干テンションが落ちてしまった。でも、いつまでも、落ちているわけにはいかないので、とりあえず日が昇るまで、三宅島を周回する都道212号を反時計回りに回ることとした。

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こちらが、三宅島上陸後におけるルート図。三宅島に発着する3つの港と三宅島空港、そしてこのあとの詳細ルート図に掲載できなかった訪問地をここに記載した。

ちなみに、レンタカー屋は三宅島空港よりちょっとだけ南側に移動したところにある。(空港まで徒歩にしてだいたい10分圏内)

よって、実質のスタート地は、三宅島空港近郊ということにしておこう。

先ほども申した通り、日が昇るまで、三宅島を周回する都道212号を反時計回りに回ることになるので、三宅島空港→三宅島警察署→錆ヶ浜港方向へと車を進めることになるのだ。

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錆ヶ浜港・七島展望台周辺のルート図の拡大図がこちら。

錆ヶ浜港に差し掛かったあたりで、日が昇り始めたので、とりあえず七島展望台に向かって車を進めることにした。

ルート図を見ればわかるが、「このエリアは立入禁止区域」という物騒な表記が存在する。この理由はあとで説明することにしよう。

錆ヶ浜港のある阿古地区を過ぎてから、2000年に噴火した雄山の方向へと入る。そうしないと、七島展望台にはたどり着けない。

そして、この七島展望台へ向かう道中で、三宅島の厳しさを感じざるを得ない風景に出くわすことになる。

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少しのぼったところで撮影したのが、この写真である。普通の樹木に混じって、立ち枯れた木が見えるのがおわかりいただけるだろうか?

この立ち枯れた木は、火山ガスの影響により、発生したものである。このあと、立ち枯れた木の大群をいやでも目にすることになるのだ。

こんな表記をしたが、別に立ち枯れた木が嫌いなわけではなく、こういう風景をよく見ることになるということを言いたかっただけである。

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最初は、歩道が整備されていた道も、上にのぼるにつれて、どんどん貧弱になっていく。

1車線分の道路幅しかなく、しかも軽自動車でもぎりぎり通れるかどうかというレベルのところもあった。その証拠に路肩には、土嚢が連なっているのがおわかりいただけるだろうか。

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振り返ると、海の先に島が見える。

この島が、御蔵島で、前説で説明したエコツーリズムを実施している島である。

山の中は豊かな自然が残されており、周辺海域には野生のミナミハンドウイルカが生息している。

島自体は、利島と同様、断崖絶壁の島となっており、海岸は存在しない。ただ、険しさの面では利島よりも御蔵島のほうが険しいイメージがある。

過去には、流刑地の一つとして指定されていたが、あまりにも過酷な環境のため中止された経緯があることから、昔は相当険しかったのだろうと思われる。今もそうだけどね。

また、御蔵島は地形上の問題で住宅地、農地に使用できる土地が限られているため、江戸時代には「二十八軒衆」という制度が設けられていたほか、今でも島外からの転入者は島内に一戸建て住宅を建てることができない仕組みになっている。よって、島外からの転入者は、強制的に村営住宅へ入居しなければならないのだ。

なお、人口的には利島と御蔵島ともにほぼ一緒の人口だったりする。

御蔵島の名産品は、水(ミネラルウォーター)で、豊かな原生林で覆われているため、ほかの伊豆諸島各島に比べて水に恵まれているのである。

御蔵島の暮らしは、定期船の入港に左右され、悪天候が続けば食料やその他物資などが不足することもある。その場合は、東京から八丈島経由でヘリコミューターを使った輸送を行うこともあるようだ。

いつしか、御蔵島を訪れて、レポしたいものだが、果たしていつになることやら・・・

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御蔵島をバックに千早を撮る。

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溶岩が固まったところからも、新たな生命の息吹が感じられるところを見た。植物は強いなあと思った次第である。

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標高があがるにつれて、立ち枯れた木の数も多くなってくる。

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日が昇った後だから、まだ落ち着いて走れるものの、夜にこういうところを走るのは勇気がいりそうだ。

いかにも、幽霊が出てきてもおかしくないような風景だし・・・。(火山活動の影響だからやむを得ないけれども)

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だいぶ上まであがってきたところを振り返って撮影。荒野と遠くに見える御蔵島のコントラストがまた絶妙である。

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そして、ほどなくして広い空間に出る。鉄骨だけが残った廃墟、溶岩に覆われた山・・・

これを見るだけで、何か異様な空気が漂うのを感じた。それに、周りに人すらいなく、ひとりぼっち状態なものだから、緊張感も相まって、

おそらく、噴火前は何かがあったのだろうが、いったい何があったのだろうか、ふと立ち止まって考えることにした。

ちなみに、奥にある溶岩に覆われた山の方向へいくと、七島展望台にたどり着く。

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雄山のふもとを走る道。通行止めにはなっていないものの、初見だと通れるかどうかすら迷う状況といっても過言ではない。

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ここは何かの管理施設だったのだろうか。

試しに中を少し覗いてみたら、荒れに荒れていた。廃墟マニアなら喜ぶ風景だろうが、中の写真を公開することは、ここでは控えておくことにする。

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周りをみまわしたところ、このような地図を発見した。

先ほどの広い空間の正体が、これでわかった。そう、この一帯は牧場公園だったのである。

ここで、牧場公園について、簡単に解説することにしよう。

牧場公園とは、雄山の山腹を利用した広大な村営牧場と、観光客向けのレジャー施設を組み合わせたもので、1983年の噴火後に土地改良が行われ、1995年頃から本格的に営業を開始した施設であった。

当時の三宅村が、総力を挙げて整備を進めていき、三宅島の復興の象徴として観光の目玉スポットになるはずだった・・・。

それが、なぜ無残な姿に変わり果てたのかは、もうおわかりですよね?(1990年代後半生まれ以降の人はひょっとしたら知らない人もいるかもしれないが・・・)

そう、2000年の雄山噴火により、牧場公園は見るも無惨な荒野へと姿を変え、施設や道路が破壊されただけでなく、多くの家畜も犠牲となった。

全島避難の際、半数以上の家畜がやむを得ず置き去りとなり、村営牧場に放置された多くの家畜が犠牲となってしまい、壊滅状態に陥ったのである。

今回は、三宅村ふれあい広場方面に行く時間がなかったので、やむを得ず省いたが、インターネットで調べる限り、やはりそこも廃墟になってしまったようである。

今度、三宅島に行く機会があれば、もう少しじっくりと巡りたいものだ。

なお、この一帯は、現在砂防堰堤の建設用地となったため、牧場再建の見通しが全く立っていないどころか、村自体も再建に消極的のようである。

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先ほどの地図の横の道路に大きい土嚢が並んでいる。

この意図はいったい何なのだろうか・・・。

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少し右に視点を移して撮影したもの。

この土嚢は、バリケードの役目を果たしていることがわかった。

バリケードの先にそびえる山は、さきほど述べた雄山である。そう、この先が例の立入禁止エリアなのだ。

実際の立入禁止エリアは、雄山の山頂周辺であり、実際のところ土嚢バリケードから先は危険区域(ガスマスクがあれば一応立ち入りはできるが、事前許可が必要)という扱いなのだが、観光目的できた人がわざわざこの危険区域の内側に入る必要はまったくもってない。

土嚢バリケードから先へ入る人間は、あくまで村の関係者か、火山観測関係者ぐらいなものである。

よって、このバリケードから先へ行くことはお勧めしないというか、入ること自体よしておこう。

ちなみに、ふもとにある建物は、「三宅島青少年研修・スポーツセンター」という施設だったもので、そこは、食堂や浴室を備え、宿泊が可能な施設だったようである。

それにしても、こういう風景を見ているとまるでこの世の終わりを見ているような気しかしないものだ。死後の地獄の始まりの部分に来たかのようにも思える。

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もう一度、七島展望台付近のルート図を掲載する。

先ほどの土嚢バリケードから先が、このルート図でいう、立入禁止区域を指す。

ちょうど、立入禁止区域ぎりぎりのところまでやってきた格好だ。

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土嚢バリケードの反対側から御蔵島を望む。荒野と緑あふれる島とのコントラストがなんかいい。

でも、撮るなら、晴れた日中のほうがわかりやすいかも。

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立入禁止区域のバリケードから島東部の坪田地区方向を見る。

火山活動の爪痕が残る荒野をぶった切るように道路が伸びている。

このあと、この道路を通っていったのだが、泥流と溶岩流の跡が随所に見られた。

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溶岩に覆われた荒野に建てられた公衆トイレと屋根付きの休憩所である。

見るからに新しいので、2000年の雄山噴火後、しばらくたって、三宅島復興が始まった時に建てられたものと推測される。

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三宅島における簡易的なハザードマップ的な何かである。

現在地のところを見ると、危険地帯と規制解除区域のちょうど境界にいることがわかる。

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さきほど遠目越しにみた鉄骨だけが残った建物の正体は、牧場公園のレストハウスだったもの。

先ほど述べた2000年の雄山噴火により、このような無残な姿に変わり果てたのだった。

しかしながら、噴火前から開店休業状態であったらしい。実は、開業当初から、牧場公園は期待通りに来場者が増えず、次第に施設の休業が多くなっていったのだそうだ。

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レストハウスだった廃墟の中に少しだけ入る。がれきが散乱しており、当時の面影を知るのはちょっと難があるように思う。それと、レストハウスで使っていただろうと思われる電気の配線が随所で垂れ下がっている光景が見られた。

また、鉄骨自体も火山ガスの影響などにより、錆にさびていた。

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排水溝を見てみると、左右で違いがおわかりいただけるだろうか?

右のほうは、火山ガスの影響などによりすっかりさび付いてしまっている。

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レストハウス跡の横の道を抜けて、七島展望台に到着する。なお、車が通れる道ぐらいの幅があったので、そのまま車で乗り付けてきた。

展望台周辺は、このように赤い土で覆われているのが特徴的である。これは、古い噴火で溶岩が高温酸化したものだそう。

また、七島展望台がある丘は「二男山(になんやま)」と呼ばれ、溶岩やスコリアが積み重なってできた噴石丘となっている。

1983年の噴火の際、この付近で最初の火口が開き、海岸まで達する火口列を形成したのだ。七島展望台の付近に積もっている黒いスコリアは、その当時の噴出物であるとのこと。

七島展望台は、その名の通り、晴れた日は大島から八丈島まで見ることができることから名付けられた展望台である。

ちなみに、伊豆七島とは・・・

大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島

のことをさす。

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七島展望台から雄山の方向を見る。

雄山は今もなお、往時ほどではないにしろ、火山ガスの噴出を続けており、火山活動が収まる気配はいっこうにない。

雄山は、2000年の噴火前の標高は814mだったそうだが、噴火後、山頂付近が崩れ、775mほどにまで下がった。その代わりに大きなカルデラが形成されたようである。

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七島展望台から御蔵島を望む。

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海にうっすらと見える島は、大野原島と呼ばれる無人島である。3つの大きな岩が海に突き立っている姿から通称三本岳(さんぼんだけ)ともいわれているようだ。

見るからにとても人が住めそうにない島である。

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七島展望台から神津島方面を望むも、視界があまりよくなく、うっすらとしか確認できなかった。

写真だと写りが悪くて、写っていないようである・・・。

なお、1983年の噴火時は、この方向に向かって火砕流が、阿古地区の集落を飲み込んでいったそうだ。写真の陸地をよく見ると、当時の爪痕が随所に見られる。

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三宅島に来たからには、一度は行きたい雄山であるのだが・・・。先ほども書いた通り、火山活動が収まる気配がないため、近づくことはできない。

果たして、わいが死ぬまでに訪れる機会がくるのだろうか・・・。


 

七島展望台を散策した後は、坪田地区方面に向かって、林道を下っていく。

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山を下っていくと、このように随所に砂防堰堤(砂防ダム)が目に入る。

おそらく、2000年の噴火後に施工されたものであろう。

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立ち枯れた木が見える中、1車線幅の林道を下っていく。

そして、山を下りている途中にサイドミラーを見るとなんかネット上で見た事があるアレを発見したので、ご迷惑にならない程度に降車して確認してみた。

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・・?

・・・?

やべぇ、これネット上でお目にかかった看板じゃねぇかぁぁぁぁぁぁ。

もしかして、真面目にワルニャンしちゃった?

てか、登るときこんな看板見かけなかったぞ。マジで。大型車進入を防ぐ為のバリケードしかなかったぞ。だから、突っ込んでいいと判断して普通に突っ込んじまったぞ。

ちょっと前にも書いたが、七島展望台の近くに雄山に通じる道がありそこは大型の土嚢でバリケードはしていた。

あれも右側が軽自動車で普通に突っ込めるぐらいのスペースがあったから、突っ込んでワルニャンすることも理論上は可能なのだが、そこから先は危険地帯なので、何かあっても命の保証はおろか、関係機関のお世話になるのは目に見えていたので、さすがにやめといたがな。

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とりあえずここは二股に分かれていたので、おそらく閉鎖されている右側の道路のことだと思いとりあえずスルー作戦をとる。

なお、この道路は、危険地帯に通じるため、通行することができない。

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軽自動車でもぎりぎりの道幅を通っていく。普通乗用車でこんなところに行くのはちょっと躊躇するかな・・・。

しかも、左側はガードレールなんていう高級品が存在しないため、一歩間違えれば、確実にがけ下に向かって転がり落ちるのは明白で、そうなった場合命の保証はない。

正直、今回の三宅島遠征で一番ヒヤヒヤしたところといえよう。

で、さらに山を下りてみると。

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!!!

例の看板が立っている2度目のところ・・・ここ道一本だから、これ、ワルニャンどころか死亡フラグじゃね?

で、帰った後に調べてみたが

結論・・・

「なんくるないさー」

ということにしておくw

やっぱり、当時の情報錯そうはあてにならなかったということを感じた瞬間であった。

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例の看板を見た後も、うっそうとした森の中を通り抜けていき、その後、三宅島の環状都道である都道212号線に合流した。

その後、三宅島空港の横を抜けて、高濃度地区とされていた三池港周辺のところを車で散策することにした。

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この後いったところの位置を確認するためにルート図を出してみる。

三宅島空港方向から三池港・三七山・椎取神社の順に、北上する形で訪問している。

ちなみに、ルート図で出した各所は、三宅島の東部に位置している。

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三池港周辺の集落は、当時高濃度地区(調べてみたら、当時はほぼ解除状態にあったらしい?)であったためか、人の気配が見受けられなかった。

まるで、ゴーストタウンの中に迷い込んだ感じがした。

まあ、10年以上、居住禁止区域に指定された以上、戻る人もそうそういないのだろうが・・・。

ちなみに、2000年の雄山噴火前は、この三池港周辺が、三宅島における中心地だったようである。

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三池港の入り口に地層を見つけたので撮影。

わい、理系じゃないけど、地層を見ると、つい撮影してしまうんだw

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こちらが三池港の入口である。奥に見える建物は、船客待合室だ。

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三池港の桟橋方向を見る。

先客待合室の奥が桟橋で、大型客船は、右舷付けで着岸する。ちなみに、西側の錆ヶ浜港と伊ヶ谷港は左舷付けである。

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三池港から戻りざまに撮影した雄山の様子。七島展望台では、気づかなかったが、雄山の山頂から火山ガスのようなものが噴出しているのが見てとれる。

三池港周辺は、ほぼ常時火山ガスの影響にさらされるため、気管支が弱い方はこの周辺で長時間滞在するのはやめておいたほうがよかろう。

三池港周辺の様子をみたあとは、さらに昔の噴火の爪痕を見に行くことにした。

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三池港からほどなくして、このような人工の掘割区間を通る。

しかし、これはただの掘割ではなさそうだ。右のほうを見てほしい。何か火山活動の歴史を感じさせる地層が見えるのがお分かりいただけるだろうか?

おそらく、昔の道路は上のほうを通っていたのだろうが、火山活動の影響により、被害を受け、のちにこういう掘割形式にして道を通したものと思われる。

三池港~三七山の間にサタドー岬という名所があるが、今回は時間の都合上パスした。

ちなみに、三池港~三七山周辺の間は急カーブが多いので、速度に注意して運転しよう。

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三池港から車で5分ほど走ったところで、次の目的地である三七山に到着した。

このあたりも1962年の噴火によって、大量な噴石が積み重なってできた噴石丘が随所にある。三七山も例に及ばず、噴石丘によって誕生したものである。これをスコリア丘とも呼ぶ。

噴火は海抜150~200メートル付近から上下に広がり、雄山の8合目付近から海まで至る火のカーテンとなり、30時間に渡る噴火の後、激しい地震が1ヶ月以上も続いたようである。

また、三七山の由来は、噴火の起きた昭和37年から名付けられたものである。

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三七山から撮影したこの噴石丘は、ひょうたん山と呼ばれている。こちらは、1940年の噴火によって誕生したものである。

1940年の噴火では、20箇所近くの小火口で噴火が起こり、ひょうたん山は、その一つであった。

現在の火口は、直径100メートル、深さ30メートルあり、噴火当時は海側にもう一つ火口があったそうで、噴火前のひょうたん山周辺は、海中だったそう。

実は、ひょうたん山は自由に立ち入ることができるらしく、火口の縁に立って、中をのぞき見ることが可能だそう。

事前に知っていれば・・・。まあ、また三宅島に行きましょうねw

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三七山とひょうたん山の間を縫うようにして走る都道212号。三宅島東部では最も急なカーブとなっている。

このあたりはそんなに飛ばすところでもないし、できることなら少しゆっくり走りながら、火山活動のすごさを感じてほしいものだ。

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三七山から雄山を望む。その姿は険しい・・・。

三七山周辺を散策した後は、都道212号を再び北上し、椎取神社へと向かうが・・・。

実は、どこにあるかわからなくて2度ほど通過してましたw

3度目にしてようやく見つけて、タイムロス10分・・・。アチャーw

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気を取り直して、椎取神社にやってきた。まずは、説明板を撮影。

三宅島において、重要な神社の一つであり、2000年の雄山噴火の際に、泥流の被害にあった場所でもある。

この神社には、佐伎多麻比咩命(さきたまひめのみこと)の第八子、志理太宣命(しりたきのみこと)が祀られているそうで、事代主命(ことしろぬしのみこと)が三宅島に渡った時の第一歩はこの地とされ、ここは事代主命と佐伎多麻比咩命の愛の巣とも伝えられている。

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真新しい鳥居と社(本殿)が建っていた。これは、2000年の雄山噴火後、しばらくしてから再建されたものである。

社の後ろには立ち枯れた木がたくさん並んでいた。これは、火山ガスおよび泥流の影響によるものだ。かつてのこのあたりは、緑に覆われていたことだろう。

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この真新しい鳥居と社(本殿)ではあるが、次に大きな噴火が発生した時にまた被害にあわないか心配だったりもする・・・。

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火山活動の爪痕が見られる所には、このようなジオスポットの看板が立っている。この椎取神社も2000年の噴火の影響により、大きな被害が出たことから、この看板が立っている。

写真などを交えて、当時の様子をうかがい知ることができるのだ・・・。

でも、前の鳥居とかはどこにあるのだろう・・・。

少し、視点を変えると・・・。

 

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これが、例の泥流に埋まってしまった鳥居と、本殿である。

わいは、かつて島原の雲仙普賢岳の噴火による土石流の影響で埋まった民家(道の駅「道の駅みずなし本陣ふかえ」に併設されている土石流被災家屋保存公園で見ることができる)を見たことがあったが、これはこれでまた衝撃を覚えたものである。

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泥流によって埋まった鳥居を撮影する。

かろうじて上部だけ残っているものの、鳥居の大半は泥流によって埋まってしまった。おそらく高さに換算すれば2m以上になるだろうか・・・。

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そして、本殿も同様に屋根だけを残して、あとは泥流に埋まってしまった。

周りは立ち枯れた木ばかりを目にするけれども、その一方で新しい緑の再生の息吹も見てとれる。

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今は立ち枯れた木が並んでいる物々しい光景ではあるが、いつかまた深緑の森に囲まれた風景が見たいものである。

椎取神社を訪問した後は、三宅島北部へと移動する。

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三宅島北部のルート図の拡大版がこちら。

このあたりは、神着(かみつき)地区と呼ばれているところで、一帯は火山活動による影響が少なく、三宅島の他地域と比べて落ち着いた雰囲気の場所となっている。

この神着地区には、三宅島で唯一の焼酎蔵である三宅島酒造販売や、三宅島のお土産の定番「牛乳煎餅」の製造元である「岡太楼本舗」などがある。

ここには、三宅島の隠れた観光スポットがたくさんあるのだが、時間の都合上、島役所跡周辺を訪れるのみにとどまった。

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こちらは、島役所跡。現存する木造建築としては伊豆諸島最大だそうで、1516年に建てられたそうである。

建築木材はすべて椎の木を使用、しかも「カンナ」は一切使用されておらず、主に手斧で仕上げられた貴重な建築物となっている。

なお、内部については残念ながら非公開となっている。なぜなら、今でも住居として活用されているからだ。

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島役所跡の向かい側には、御笏神社と呼ばれる神社がある。先ほどの椎取神社と比べると、何か厳かで神聖な空気が漂っているように思う。

今回は、時間の都合上、境内までは足を延ばさなかったが、次回三宅島を訪れた際は、是非とも足を延ばしたいと思う。


 

ということで、今回はここまで。

今回の遠征では、いままでの遠征記録とは異なり、観光に重きを置いた感じに仕上げているため、ちょっと違った構成にしましたがいかがでしたでしょうか?

三宅島の魅力について、前面に押し出してきたつもりですが・・・、これで少しでも魅力が伝わればこれ幸いです。

さて、次回記事ですが、三宅島遠征編の後編をお伝えします。

まだまだ、火山活動の爪痕をみつつ、三宅島の数少ないオアシスを探検するなど、三宅島を楽しみますよ。

続きは過度な期待はせずにお待ちあれ! なお、続きは強制的に来年になります。あしからず。


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