【初めての地への期待を込めて】アイモバ北陸アタック&アイモバ紀勢アタックの旅【4】

こんにちは。北陸の食パンです。

前回記事から、だいぶ時間がたってしまいましたが、今回はわいの過去のアイモバ遠征シリーズ第九弾の続きということで、アイモバ北陸アタック&アイモバ紀勢アタックの旅(2013年8月29日発、8月31日帰着)をしてエリア制覇した記録を書こうと思います。

今回がこの遠征の最終章になります。尺の都合上、中途半端に分けられなくなった結果こうなりましたとさw

しかし、なんだかんだあって、公開が遅れましたことお詫び申し上げます。

まだ、以前の記事を見てない方はこちらもあわせてお読みくださいね。

第一章 第二章 第三章

それでは、本題にいってみましょう。

壱拾:海!電車!美味しい代行回収!(和歌山 那智勝浦エリア~和歌山 田辺エリア)

前回、夜に大阪を出て、名阪国道・伊勢自動車道経由で、8月31日未明に紀勢エリアに入り、朝から新宮・那智エリアの観光をしてきた。

時刻は9時過ぎ。まだまだ和歌山県を西に進んでいく。

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那智を出た後のルート図は以上の通り。これから、第三の目的地「潮岬」へと向かう。

ちなみに、「シーシェパード」(藁)が、(捕鯨やイルカ追い込み漁に対して)たびたび攻撃の的にしている太地町が位置しているところは、(紀勢本線基準で)那智勝浦~串本間の中である。とはいっても、町の規模としてはかなり小さい(実際に和歌山県に存在する市町村で一番面積が狭い)うえに、那智勝浦町に囲まれている海沿いの一角にあるため、正直通ったという実感がわきにくい地域でもある。

それでも、道路面では国道42号が、鉄道面では紀勢本線が通っているから、秘境地というわけではないが・・・。

また、黒飴界でもそれなりに有名である「那智黒」の本拠地(本社・工場)があるのが、この太地町である。間違っても、那智勝浦町ではないので注意されたい。

さらに余談だが、落合博満野球記念館があるのもこの太地町にある。

今回の遠征の本目的に太地町が含まれていないことから、さらっと通過してしまったが、今度そのへんに行くときは捕鯨文化やイルカ漁の文化の勉強をしに行きたいものである。

クジラ肉が食べられるのはもちろんのことだが(以前こちらの遠征でもクジラ肉を使った駅弁を食べている)、現地ではイルカのすき焼きという珍品料理もいただけるらしいので、機会があれば、太地町でこれらの料理を食べたいものである。

かの有名な太地町を通ったということで、話がだいぶ脱線してしまったから、話を遠征のほうに戻すことにしよう。

当時、すでに、この時点でこの先の田辺エリアの代行がたんまりとたまっており、さっさと田辺エリアに行きたかったのが、本音だが、とりあえず潮岬は寄ることにした。

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紀勢本線でいうと、古座~紀伊田原間あたりである。画像左に見えるのが紀勢本線である。このあたりの国道42号は、潮岬以東では国道と海が結構近い距離にあったりする。

なお、那智から串本の少し先までは、らいちょうPの手で運転となっている。

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古座付近は海沿いを走る。先に浮かぶ小さい島の名前は不明。さらに、その小さい島の奥に見えるのが「紀伊大島」という島である。串本の市街地の対岸に位置している。ちなみに、「紀伊大島」へは、潮岬へ行く途中に橋(くしもと大橋。1999年開通)があり、その橋を渡ることで行くことが可能である。

なお、紀伊大島は、和歌山県にある島で一番大きい島である。

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10時過ぎに潮岬周辺に到着。潮岬にほど近い観光タワーの駐車場にとめて、潮岬周辺を散策することとした。

ちなみに、この写真のあたりは「望楼の芝」と呼ばれている一帯となっている。

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潮岬・串本・紀伊大島周辺の名所の位置を示す地図があったので、記念に撮影。

先ほども、少しだけ紀伊大島のことを話題にしたが、ここで紀伊大島で発生した外交的事件について語ることにする。

トルコは、親日国家として有名であるが、日本とトルコ両国の友好関係ができる契機となった事件(といっては語弊があるかもしれないが、実際に事件である)があったのが、この紀伊大島の沖にて発生している。

その事件について、これからざっとではあるが、説明しよう。

オスマン帝国(当時のトルコの国名)の軍艦エルトゥールル号が、1890年に、海軍航海訓練をかねて訪日することとなった。ちなみに、訪日のきっかけは、1887年に行われた小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えるためだったとされる。

1890年6月に、幾多の困難を乗り越えながらも、無事日本に到着。ただ、日本についた時点で様々な問題が山積しており、訪日目的を達成した後、すぐに帰ることができなかった。

その後、なんとか1890年9月15日に日本(横浜港)を発った。当初日本側は、もう少し時期をずらして帰るべきだと勧告(オスマン帝国側のことを心配してのこと)していたが、オスマン帝国側はその勧告を蹴って、帰国を強行(これには国家的戦略の都合もあった)することにしたのである。しかし、この判断が、最大の事件を生むことになるとは、この時は知る由もなかった。

1890年9月16日21時頃、エルトゥールル号が、台風による強風にあおられ、紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突し、座礁した。その後、エルトゥールル号は、座礁による浸水により爆発し、沈没した。これにより、600名以上の乗組員が海へ投げ出されたのである。

そして、海に投げ出された一部の乗組員が、樫野埼灯台下に流れ着き、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりついた。そこにいた当時の灯台守は応急手当を行なったが、お互いの言葉が通じなかった。そこで、国際信号旗を使用し、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦であることがわかったのである。

その後、通報を受けた、紀伊大島(当時大島村)の住民が総出で救助と生存者の介抱に当たった。村民の懸命の救護活動の結果、69名が救出され、生還となった。一方で、残る587名は、死亡または行方不明となり、大惨事となったのである。

その後、生還者はオスマン帝国に送還された。

この事件は、オスマン帝国に大きな衝撃を呼んだが、当時、現地の新聞を通じて大島村民による救助活動や、日本政府の尽力が伝えられ、当時オスマン帝国の人々は、遠い異国である日本と日本人に対して、好印象を抱いたといわれている。

ただし、実際に国家間で正式な国交が結ばれたのは、オスマン帝国滅亡後のことであり、トルコ共和国が成立してからとなっている。これは、大日本帝国とオスマン帝国の外交当局の交渉決裂が原因とされている。それでも、民間レベルでの親交はこの「エルトゥールル号遭難事件」が契機となっており、120年以上の親交の歴史があるのだ。

ちなみに、この「エルトゥールル号遭難事件」については、たまに教科書や本で扱われることがあり、中には知っている方もいらっしゃるだろうが、おそらく大半は知らないのではと思い、ここで軽く書かせていただいた次第である。

わい自身、歴史に興味があるため、ついつい熱く語ってしまうのだが、そこのところは大目に見ていただければ幸いである。

そんな経緯もあり、紀伊大島島内に「トルコ記念館」が建てられている。今回は、時間および目的の関係上、紀伊大島に寄れなかったが、紀伊半島沿いを再訪した際は、ぜひとも訪れたい次第である。

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「望楼の芝」から太平洋を望む。この先の海は、船に乗らない限り、行くことができない領域である。それにしてもいい天気に恵まれたものだ。

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「望楼の芝」から望む風景とともに千早を撮る。

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先には岩場があるが、立ち入り禁止である。岩場から海を望むのが好きだから、入れればいいのだが、荒天時は危険地帯と化す(高波にさらわれる確率が高くなる)というのもあり、常時立ち入ることは許されないのだ。

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「望楼の芝」の一角に、潮岬(本州最南端)の碑を発見したので、これも忘れずに撮影した。

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この碑の前でも忘れずに千早を撮影する。

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雄大な海をバックに千早を撮る。そういえば、千早は海が好きだという設定があるので、本当に最高な絵になりましたよと。

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緩やかな弧をえがいて太平洋が広がるこの風景は、地球が丸いことが実感できるといっても過言ではない。潮岬以外でも、実感できる場所はある(例えば千葉県の犬吠埼など)が、ここまで地球が丸いなあと実感できるのはやっぱり潮岬ならではの風景だろう。

ちなみに、らいちょうP曰く「サスペンスドラマのクライマックスに出てきそうな風景だ」。確かに、わいもそんな感じがしたぞ。

これは、潮岬にきて良かったぞ。そして、那智で雨に降られたけど、ここは晴れてくれて本当に良かったぞ。

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ちょっと離れたところにも「本州最南端」の碑をみつけたので、撮影した。その後、再び車に乗り、西を目指す。

それで、帰ってから気付いたんだけど、潮岬の灯台は、こことは別の場所にあったことが判明・・・。

これは、再訪必要ですね・・・。ええ・・・。

そして、らいちょうPから提案というか要望があって、「オーシャンアロー(当時は、くろしおに統一された後の話であるが、時刻表上はオーシャンアロー車両で運転と表記されているケースが多いため、ここでもそう表記する)を撮りたい」ということで、せっかくだから、ちょっと撮り鉄することにした。

先の田辺エリアの大量の代行が気がかりながらも、早速撮影地探しの旅に出かけた。

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紀勢本線でいうと、紀伊有田~串本間あたりの風景である。潮岬から車で15分ぐらいいったところである。

283系の撮影地探しで、一旦このあたりにとまったものの、なんかいまいちパッとしないので、もう少し先へと進んだ。

道路が付け替えられて、廃道化しているさなかの場所によさげな撮影地を発見。海と絡められないという面では、ちょっとつらいところだが、きれいにとれそうなので、下の写真にあるような場所で、オーシャンアロー型車両(283系)を撮影した。

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283系オーシャンアローのくろしおが掘割の間を通過する。ちなみに、紀伊有田~串本間にて撮影。

増結編成同士の組み合わせだったこともあり、新宮側は貫通型車両がきてしまった。非貫通型でもう一度リベンジしたいところだが、いつになることやら・・・。

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潮岬から先、白浜・田辺方面へのルート図は以上の通り。

地図上では、高速がのびているが、当時は紀伊田辺IC以南が開通していなかったこともあり、ひたすら国道42号をトレースするコースとなった。

その後、白浜方面に向かって車を進めるが、途中で思わぬアクシデント(というよりインシデントといったほうが正しいかも)が発生する。

それは、正当な手段(白線区間)で遅いからと思って抜かした瞬間、抜かした赤いレンタカーのドライバーから煽られる羽目に。ミラーで見る限り、大学生のクソガキっぽかったので、ガン無視して先に進む。

その後、相手方が抜き返しにかかったが、それもとりあえずは無視した。それで、相手方から抜かされるときにガン見してきたから、それし返したよ。ホント。

その後、対向車(しかも20t級の大型車)がやってきて、相手方のレンタカーが、元の車線に戻って急停車。それに伴い、こちらも急停車したが、危うく、追突するところであった。真面目に、このクソガキドライバー死ねばいいのにと思ったのは、本当の話。

もし、わいも張り合ってたら、間違いなくクソガキドライバーは死んでたと思われる。相手が大型車で、正面衝突なんてしようものなら、ほぼ助からないからだ。

その後、クソガキドライバーが乗った赤いレンタカーは、逃げるようにわき道にそれた。もしかしたら、わいの顔を見て、絡まれそうだと思った(直近の界隈の一部からたまにヤクザ扱いされることもあるw)からなのかもしれない。これだから、クソガキは・・・。

こちらも、代行案件が待っているのと、らいちょうPが同乗していることもあり、執拗な行為は避け(間違っても執拗にやってはいけないが)、国道42号線をそのまま進むことにした。

もし、単独で行動してて、そんなことに遭遇してたら、その車を追い回した後に「おいコラァ! 降りろ! 免許持ってんのかコラ!」とか、「おい。あくしろよ。」とか、「おいお前らクルルァ(車)についてこい」とか言っちゃってたかもしれない。どこの「真夏の夜の淫夢」だよ。まったくw

とりあえず、公道で正当な方法で、遅いから抜かしたのに、煽る餓鬼は車運転しないで、自宅に引きこもってほしいわと思った次第。もしかしたら、当該者は、その後、同様のことをやらかして事故逝去したオチやらかしてないとはいえなさそうなので・・・。

そんな、アクシデントがあっても、われら2人は先へ進む。田辺エリアの代行が消えないかと不安になりながらも、とにかくできるだけ急いだ。

それから、田辺エリアに入った近くのコンビニで、車を止めて掲示板を確認したところ、まだ代行案件が大量に残っていた。そして、2人で分け合って40件以上を回収。アイモバ的には一番おいしい出来事であった。

そんな喜びも、とあるやらかしで焦りに変わった。それは・・・

わい「あれっ? エンジンかかんねーぞ!」

どういうことかというと、AT車なのに一時的にエンスト状態になってしまったのである。今では笑い話だけれども、当時は真面目に焦った。

なんだかんだで5分悪銭苦闘して、ようやくエンジンがかかって安心した。いやー、代行案件ばっかりに気を取られてると予期せぬことをしてしまうもんだなとw

原因は、完全に判明までは至っていないが、おそらく駐車場に止めて、エンジンを切るときに、ギアの位置を正確に戻していなかったことが、エンストの原因ではないかと思われる。

ともあれ、紀勢アタックの山場はこれで越えたのだ。

壱拾壱:美味しい代行回収の後のご褒美(和歌山 田辺エリア~和歌山 和歌山エリア)

朝から、観光からトラブルまで多々あったものの、とりあえず、束の間ではあるが、羽を休めることにした。ということで、コンビニを出た後、白浜の街並みへと足を延ばすことにした。

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白浜市街地内のルート図がこちら。何の変哲もないが、一応掲載する。

田辺エリアを一度離脱した後は、白浜の温泉で、ちょっと温泉に入りたかったので、白浜温泉でも有名どころの「崎の湯」というところに向かった。

ちなみに、「崎の湯」万葉の昔から「湯崎七湯」の中で唯一残っている歴史ある湯壷で、雄大な太平洋が間近にせまる露天風呂がある日帰り温泉である。

白浜温泉自体は、1350年もの歴史があり、白浜には、斉明天皇(女帝)、持統天皇(女帝)、文武天皇が行幸された記録が、日本書紀、万葉集、続日本書紀などに記載されている。

飛鳥・奈良時代には、「牟婁の温湯」「紀の温湯」の名で登場し、湯崎七湯に数えられる「崎の湯」「砿湯」は、白浜温泉の中で、もっとも歴史が古い。現在の外湯の露天風呂であるこの「崎の湯」と「弁婁の湯」がそれにあたる。

また、「崎の湯」の特徴の一つとして、湯船から海までは約10mほどなので、岩に打ち寄せる波を感じながら入浴できるというすばらしいところであるのだが、遠征当時は、高波の影響で、上にある湯にしか入れなかった。これも、リベンジしたいところである。

なお、海に近い湯船は、2004年のリニューアル時にできた比較的新しいものである。

ともあれ、らいちょうPとわいは太平洋を見ながら、これまでの疲れをいやすかのようにどっぷりと温泉に浸っていたのである。

しかし、何気に崎の湯の外観写真と千早との写真撮り忘れはかなり痛かった・・・。なんで、忘れたんだろ本当に。

今回入った「崎の湯」は、冗談抜きで豪快感や爽快感が感じられる温泉なので、白浜を訪れた際は、皆様も一度ぜひ入っていただきたいところである。

なお、温泉の設備上、体や頭は洗えない(石鹸類を使用すると、海を汚してしまうため)ので、注意されたい。けれども、純粋に海を見ながら温泉を楽しむのにうってつけという点では、いいところだと思う。

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白浜周辺エリアでもらいちょうPの支援を受ける。ちなみに、貴音担当のめんどーさPと表記されている案件が、らいちょうPの案件だ。

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白浜駅も覗いてみた。うーん特急だらけやな。普通列車の表記が見当たらなかったですね。まさに特急海道そのものといえるだろう。

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白浜駅の近くにて昼食。本来は、違うところで食べる予定だったが、あまりの混雑で無理と判断し、こちらに逃げた。

なお、らいちょうPもわいと同じ物を注文している。さすがは同志(ぉ

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白浜で温泉を堪能し、昼食をとった後は、大阪に向かって、進路をとる。

阪和自動車道紀伊田辺ICから、久々の高速道路に乗った。途中、吉備湯浅PAで御坊/有田エリアを制覇する。

ちなみに、そこでらいちょうPがエリア制覇しようとした際、うまく電波が受信できなかったらしく、いつしかやった「iPad助け合いスルーパス作戦」を実行し、らいちょうPも無事制覇した。

そして、余談だが、遠征した半月後に、らいちょうPから「iPadを買った」との報告を受けた。これにより、思わぬ形で「セルラーiPad沼」に落としてしまったわけであるw

壱拾弐:お待たせしてない(?)アクロバット芸発動(和歌山 和歌山エリア~大阪 泉南エリア)

なんだかんだあった今回の遠征もいよいよ終盤へ。

らいちょうPの運転でひたすら北上を続ける。

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和歌山IC付近の写真。この後、紀ノ川SAからレンタカー屋まではわいが運転。

最初、速度が上がらないからなんだろうと思って、確認したら「オーバードライブ機能」が働いてたので、それを解除(ここ重要)。

まあ、それをやったということは察してくださいw わいが名付ける「アクロバット芸」をやらかした証拠です。

らいちょうPもわいに運転変わった時点で、いやな予感がしていたそうだが、そのいやな予感をわいが現実にしてしまったとさw

おかげさまで、通常より早くレンタカー屋に戻ることができました(お察し)

なお、後日この件で、らいちょうPからマジクレームがきたわけだが、以後の遠征において「アクロバット芸」やっても特にクレームが来なかったというか、たぶん察してくれたのだろうと思う(ぉ

ようは慣れですよ、慣れ(ぉ

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参考までに田辺エリアから先、レンタカー屋に戻るまでのルート図はこちら。

阪和自動車道紀伊田辺ICから近畿自動車道長原ICまで高速に乗り、そこからレンタカー屋までは下道を走った。

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関西空港に行くまでのルート図はこちら。

美章園駅に着いてからは、大阪環状線経由で、関西空港へ向かった。というのも、この日にニコ鉄関西NFHが開催されており、鶴橋付近で、以前の遠征でご一緒したけぃみいPと会う為に、あえて大阪環状線経由にしたのである。

ご一緒した時間は、そんなに長くはなかったが、らいちょうPとともにけぃみいP色々と雑談して、関空快速がきたタイミングでお別れ。らいちょうPとともに関西空港まで一緒に向かう事となった。

ちなみに、阪和線の鳳以南の区間に乗るのが、初めてだったりするw

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大阪市内でもらいちょうPの支援をうけるわい。ありがとうございます。ありがとうございます。

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関空快速乗車中に、上方エリア最後の泉南エリアを制覇。ようやくエリアトロフィーを取得することができた。

今回の遠征の最終目標がこの「上方の夢」トロフィーを獲得すること。無事に獲得できてよかった。

関西空港到着後は、飛行機に乗る時間が迫っていたことから、慌ただしい形で、盟友のらいちょうPとお別れし、飛行機に乗りこんだ。

壱拾参:2回目の自腹飛行機と新しいスカイライナー芸(帰宅路)

大阪→東京(正式に言えば成田だけどw)間を飛行機で移動するのは、初めてであったが、離陸後まもなく眠りについた。まあ、夜だし景色もそんなに拝めないからというのもあるし、疲れてたからというのもある。

成田に到着後、例の九州遠征のときと同様、バスにて移動(その後、第三ターミナルができたので、バス移動は原則的になくなった)。

その後、第二ターミナル駅に移動し、そこからスカイライナーで日暮里を経由し、自宅方面へと帰っていった。自宅に帰ったのは日付変わる直前くらいである。

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新しいスカイライナー。前のスカイライナーも一度乗ったことがあるが、新線を経由すること、それに新線区間では160km/hで飛ばすこともあり、以前に比べたら段違いに速かった。

わいの家から成田空港に行くなら、バスかスカイライナーになるだろう。え? 成田エクスプレスはだって? 余程、余裕というか気が向かない限りは乗ることないでしょうw(池袋から乗れるとはいえ、遠回りするから・・・。)

さて、

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遠征後の千早のファン数は3800万人を越えた。

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制覇エリア数も443エリアと、残り62エリアを残すのみ。あれれ、おかしいな? 当初は8月末の段階で250エリア行ければいいところだと思ったのに、どうしてこうなっちゃったんでしょうかねえ?

もう、こうなったら(2013)年末までに、黄色混じりでいいから全部制覇しちまおうかと思ったのが、このときである。

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遠征後の週間ランキングに掲載された結果がこちら。週間ランキング「72位ですよ、72位!(ここ重要)」

つまり、何がいいたいかわかるよね? そう、それは、千早のバストサイズが、なな・・・うわ、やめ、何をする。わかった。ごめん、わいが言いすぎたから許してくぁwせdrftgyふじこlp(誰かさんに粛清された模様です)。

(ともかく、千早Pならとっておきたい順位もとれたから、やったねってことだよw)


というわけで、過去のアイモバ遠征記録第九弾はおわりでございます。

今回は、アイモバがなかったら、いまだに行ってないだろうと思われる場所をいろいろと巡れて楽しかったです。

前半は、ガチのタイムアタック、後半はネタ要素を交えながら、まったり観光といった具合に、趣が異なるものではありましたが、無事に遂行できてよかったです。

もう、アイモバも終わっちゃってますから、今度はまったり和歌山県を観光したいですね。ついでに酷道425号も全線走破に挑戦したいですw

さて、次回のアイモバ遠征記録第十弾の予告ですが、いよいよ離島に行ってしまいます。計画はしていたのですが、後回しを繰り返した結果、2013年秋にNisPと佐渡行き決行することにしました。

夜通し、高速を交代で運転しながら、新潟へ。それから、佐渡を船で1往復し、帰りにらいちょうPを拾って、新宿に帰るという弾丸ツアーを決行した模様をお伝えしますので、お楽しみに。

まあ、終わったゲームの備忘録を記録に残しているだけですし、そんなに見る人はいないと思いますが、まあそこんとこはよろしくってことで。

ではでは、のんびりペースで長引かせてしまいましたが、今回もご覧頂きましてありがとうございました。


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